幸せの定義をググるのをやめて、20kgの鉄を挙げた話。|20代社会人の幸福論

IT技術の発展により、現代の生活はこれまでにないほど豊かになっていると思います。

現実世界で何か嫌なことがあったとしても、ネットを検索すれば、もしくはAIに尋ねれば効率的な答えが即座に手に入れられる時代になりました。

それでも私の生活は、人生は豊かに・幸せになったとは思えません。

むしろ、幸せを追い求めるがあまり現状に満足できないようになってしまいました。

情報過多な現代で幸せを追い求めることは難しいのでしょうか。

情報過多な時代に生きること

私は何の変哲もない20代の社会人です。

大学を卒業し、現在の会社に入社してからそれとなく日々を暮らしてきました。

特に大きな不満もなく、日常生活を十分に送ることができるくらいにはなっています。

ですが、学生時代から夢見ていた「理想の自分」にはなれていません。

それが心のどこかで引っかかっていながらも、現状を大きく変える恐怖心には勝つことができず、のらりくらりと過ごしています。

SNSをひらけば華やかな生活を送っている人、自分の夢に向かって努力している人など

自分と比較すること自体烏滸がましい人で溢れかえっています。

その人たちとの差はどこで生まれたのか、毎日そんなことを考えては

何もせずに時間だけがすぎていく日々です。

そんな自分を変えようと試みるも、結果は三日坊主。1ヶ月も経てば結局スタート地点と何も変わっていない、そんな日々を繰り返しています。

そんな自分と少しでもおさらばしようと、些細な抵抗を始めていくことにしました。

とりあえずジムに行き体を動かす

将来の自分、理想の自分を描くと途方もないことばかり出てきて今の自分とのギャップに思い悩んでばかりです。

とりあえず何か変えようとまずはジムに行って、体を動かすことにしました。

ジムの滞在時間は1時間程度、

20分〜30分程度、サイクリングマシンをしたあと、

左右に10kgずつのプレートをつけてベンチプレスを上げる、初日に行ったことはこれだけでした。

初日の目標は「ジムに行く」こと、だったのでジムに行き体を動かしただけでも初日は合格点です。

隣でうなり声を上げている猛者からすれば、ウォームアップにすらならない重さです。

正直、これをブログに書く意味があるのかと自問自答しました。

情けない、書くほどのことじゃない、と。

ですが、その『誰かと比べて自分を卑下する癖』こそが、僕を不幸にしていた正体だったと気づいたんです。

AIに聞けば『20kgは初心者レベルだ』と答えるでしょう。

でも、その20kgで僕の腕が震え、胸が熱くなった。

その『痛み』だけは、ネットのどこを探しても転がっていない、僕だけのリアルな幸せだった、と少し気づくことができた気がします。

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