叶えたい目標、将来の自分、理想の自分、
これだけ毎日頑張っているのにそんな自分には全く近づけず
また変わらない毎日を送っている。
そんな日々の中でふとした瞬間に「人生は辛い」と、そう感じる時はありませんか?
でもそれはあなたが真剣に自分の人生と向き合い、
なんとしても変えたい、そして叶えたい理想があるからではないでしょうか。
今回は、そんなあなたに少しでも支えになればと思い、
私なりに考えた人生が辛い理由について解説していきます。
なぜ「頑張っている人」ほど、人生が辛くなるのか
冒頭でお話しした、人生が辛いと感じる瞬間、何を隠そう私もほぼ毎日のように感じています。
叶えたい理想があるのにそこに近づいている実感はなく、毎日が同じ日々のクリケシ。
ですが、それは私が無能な証明ではないと信じています。
周りを見渡せば、SNSを覗けばキラキラした生活を送っているような人ばかり、
疲れた日にそんなものを見ると今の自分と比べて惨めに思うかも知れません。
ですが、それは正常な反応です。
なにしろ、人生を適当に生きている人はそんなことは感じないのではないでしょうか。
毎日、自分の将来の理想のために本業をして、副業をする、筋トレもして
毎日を120%で生きている、その先に叶えたい理想のために生きているのにそれ自体が「辛い」と感じる、そんなストイックな人ほど「辛い」と感じる頻度は高いでしょう。
このパラドックスの原因は一つ、「現状」と「理想」の間に生じる摩擦が原因です。
脳にとって「変化」は「死」と同じである
そもそも、脳みそにとって「変化」は「死」と同じ現象です。
これは太古から変わらない人類のメカニズムなので仕方がないことです。
脳の最優先事項は「生存(昨日と同じ今日を繰り返すこと)」であり、
私たちが新しいことに挑戦しようとすると脳は「危険だ!もとに戻れ!」という不快感をアラートとして出してきます。
これが俗にいうコンフォートゾーンと、ホメオスタシスというやつです。
従って、私たちが人生を大きく変えようと目標を掲げるほど、行動を起こそうとすればするほど脳みそは全力をかけて反発してくるのです。
私たちは日々これに抗いながら行動をする必要があるのです。
エントロピー増大の法則:放置すれば人生は「辛い方向」へ流れる
では、少し視点を変えてこの「辛い」を放置するとどうなるのでしょうか。
熱力学の視点で考えてみると、エントロピー増大の法則があります。(熱力学第二法則)
このエントロピー増大の法則の通り、何もしなければ物事は秩序を失い、崩壊していくことでしょう。
「辛くない人生」を目指して立ち止まることは、ゆっくりと衰退していく恐怖を味わうことに他なりません。
結局、私たちは痛みを抱えながら生きていくしかありませんが、
どの痛みを選択するかは自分自身で選ぶことができます。
どの痛みを取るか。「成長の痛み」か「衰退の苦しみ」か、どちらの辛さを選びますか?
これをみているみなさんはおそらく「成長の痛み」を選択するのではないでしょうか。
そんなみなさんにこの痛みを少しでも軽減させる方法をお勧めいたします。
「辛さ」を「データ」として客観視するストイックな習慣
ここでは成長の痛み、その辛さに飲み込まれないための3ステップについて解説していきます。
- 「感情」と「事実」を切り分ける:辛いと感じた時、「今、脳がホメオスタシス(現状維持)を維持しようと頑張っているな」とメタ認知する。
- 筋トレに学ぶ:筋肉がつく時は、筋繊維が壊れる痛み(辛さ)が伴う。人生も同じ。
- 「1分間の静寂」に戻る:瞑想を使い、摩擦熱でオーバーヒートした脳を冷却する。
上記の3ステップを意識してください。
辛い、と感じた時自分を客観視してください。それを感じるということは、脳みそがホメオスタシス(現状維持)のアラートを出してきているだけに他なりません。
そして、次は筋トレを意識です。筋肉がつく過程は筋繊維を壊して、それを修復する過程でしか筋肉はつきません。
私たちの痛みへの抵抗も同じで、この痛みを受けて、それを抱えながら行動を繰り返すことが大切です。
そして最後は瞑想の時のように意識的に痛みを切り離すのです。
意識を今、に向けることでむりやり痛みと現実を切り分けて今ここに戻ってくるのです。
まとめ:その痛みは、あなたが「生きている」証だ
私が感じている痛み、あなたが感じている痛みが同じものだとは言いません。
ですが、将来に向かって今を少しでも良くしたい、という大きな目標を掲げている人が感じる特有の痛みについては、共通だと思っています。
それを少しでも抱えながら、共に歩んでいく決断ができれば理想の自分になるための脱皮が近づいている証拠だと思います。
この痛みは自分の限界を押し広げようとしている、尊い挑戦の副作用にすぎません。
たとえ今、大きな絶望を感じていたとしても、0.1mmでも進んでいれば進み続けた先、もしくは進んでいる最中にですら違った景色に出会えることでしょう。
